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半年間失業して社会から取り残される気がした時に救われた母の言葉

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今回は、僕自身が失業して、
社会から取り残される気がした時の話をします。

 

僕はサラリーマン時代に、
何回か失業し、失業保険も3回貰っています。

  • 1回目は31歳の時。
  • 2回目は33歳の時。
  • 3回目は40歳の時。

誤解がないように言っておきますが、
これは決して『生活保護』ではありません(笑)

失業した時に3ヶ月間だけ給付される
雇用労働者のための社会保障のことですね。

 

いずれも『自己都合による退職』なので、
毎回、半年以上は失業しています。

中でも、2回目に失業した時は
良い転職先が見つからず、
1年近く失業することとなりました。

社会から取り残される気がして、
さすがにかなり落ち込んだのを覚えています。

もちろん、自分のせいだと
言われればそれまでの話です。

ただ、その時は
どんな仕事をしたいのかもわからず、
再就職にも希望が持てなかったので、
時間だけが通り過ぎる日々を過ごしていたのです。

 

ちょうどその頃、
実家に寄生していた僕は
(一応、そういう意識はある)、
母の作ってくれた晩ご飯を食べながら、
ついグチってしまいました。

そのグチを聞いた母は、
僕に次のようなことを言ったのです。

 

「アンタは普通の子やから大丈夫!」

 

普通て…苦笑

でも、その言葉に妙に安心したんですよね。

今回は、同じような悩みを抱えている人に向けて、
ちょっとそんな話をしたいと思います。

 

半年失業すれば社会から取り残される気がする

失業について考える人のイメージ

 

ある程度働いていた会社を
自己都合で退職すると、
3ヶ月間の待機期間を経た後、
そこから3ヶ月間、
失業保険を受給することができます。

つまり、自己都合退職をして、
失業保険をフルで貰った場合、
約半年間は失業状態となります。

 

もちろん、その半年間の失業期間中も
ちゃんと“職探し”してます。一応。

前向きなのか後ろ向きなのか、
なんともビミョーな感じで。

 

1回目と2回目の退職の時、
僕は看板屋で働いていました。

カッティングシートという大きなシールを使って
街なかのあらゆる『Sign(看板・表示)』を
製作・施工していたのです。

でも、可もなく不可でもない仕事にやる気も出ず、
人間関係もうまくいかなかったので、
結局、別の仕事を探すことにしました。

当時、昼間は両親が働きに出かけていたので、
のびのびと実家に寄生しつつ、

ずん飯尾のギャグみたく現実逃避しながら。

けど、あっという間に失業保険が終わりを迎え、
貯金も底を尽きかけてくると、焦りが出てきます。

 

「そろそろ本気出すか…」

 

え、半年間何してたの?

というツッコミもありましょーが、
そんなもん『キリギリス』してたに決まってます。

けど、新しい転職先が見つからない。

面白いくらい『したい仕事』が何もない。

お金を求めれば『社畜』一直線。

楽さを求めれば『プアワーカー』一直線。

 

おいおい。

どうしたらええんや…。

どないしたらええのんや…?

 

キリギリスから
「ぎりぎりッス!」状態になった僕は、
仕事が見つけられない社会不適合者なった気になり、
徐々に友達にも会わなくなっていきました。

アカン…。

このままじゃ社会に取り残される…。

会社がイヤで実家に引きこもってたけど、
実家に引きこもってるのもイヤだ。

マジでどうしよう?

自信をなくした時に救ってくれた母の言葉

失業して、社会から取り残されて落ち込む男

 

会社を辞めて半年。

僕の生活は夜型になりました。

ずっと部屋にいるのはヤバイ気しかしないので、
夜にフラフラと散歩に出かけることがありました。

そんな時、会社や企業のビルを見ながら、

自分とここで働ける人の差ってなんだろう?

って真剣に考えたりしてました。

 

誰もが知っている大企業で働いて、
普通に豊かに生活できる給料を貰って、
普通に結婚して、普通に子供を作って…

そんな当たり前の道の上に自分はいない。

何でこんなことになったのか?

どうすればいいのかもわからない。

時間を戻すこともできない…。

 

そんな悶々とした日々を過ごしていたある日、
つい母親にグチっちゃったんです。

「オレみたいに何もできん人間は、
世の中に必要とされてないねん!」

他にも色々言った気がするけど、
再就職することに対して
かなり弱気なことを言ったのは確かです。

 

この時、僕は33歳。

2回目の失業保険受給が終わり、
しばらく経ってからのことでした。

小学生の時に描いていた人生の上では、
きっと結婚して子供もいると年齢でしたが、
現実とのギャップを考えると
色々とイヤになってしまっていた時期でもありました。

 

思ってた未来とは異なる失望感。

そして、そこから抜け出す術もなければ、
その実力もないと、
現実に打ちひしがれてしまっていたのです。

 

母は、僕の取り乱した姿を目にして、
目を丸くして驚いていました。

そして、少し強い語気で、

「アンタは普通の子やから大丈夫!」

と励ましてくれたのです。

ウチの親は、
かなり心配性なところがあるので、
普段、僕の方から
このような泣き言を漏らすことはありません。

なので、母の言葉は、
自分にとって意外なものでした。

そして、この時、
『普通』と言われたことに、
妙な安心感を抱き、
かなり気持ちが軽くなったのです。

いや、本当は、
自分が信じられなくなった自分自身のことを
親がずっと信じ続けてくれていたことに、
愛情を感じただけなのかもしれません。

それ以来、僕は
『普通』という言葉がとても好きになりました。

社会に取り残される不安と戦って…

社会とは何かを考える男

 

多くの人は、何か職に就いてないと、
社会に取り残されるような気持ちになって
落ち着かないのではないでしょうか?

会社でうまくいかないことや、
納得できないことがあった時は、
会社を辞めることもあるかもしれません。

ただ、それが長引くと、
思っても見なかった失望感に
苛まれてしまうこともあるでしょう。

そこで、その危機感を
チャンスへと昇華できれば良いのですが、
現実の壁は想像以上に高いことも多いので、
自分の力だけでは
解決できないことも出てきます。

 

そんな時は、一旦、気持ちをリセットし、
プライドを捨てて見るのも良いかもしれません。

母の言葉で励まされた僕は、
再就職のハードルを下げ、
ホームヘルパー2級(今は廃止されました)
の資格を取った後、
介護職へと転職することにしました。

再就職した時は
アルバイト勤務から始まったのですが、
一度、余計なプライドは捨てて、
34歳でイチから出直そうと決めたのです。

 

アルバイトとして働くのは、
かなり久しぶりのことでした。

勤務先は、自転車で15分くらいの
障がい者支援のデイサービスで、
給料は16-17万円くらいだったと記憶してます。

はじめての経験ばかりで、毎日ヘトヘト。

でも、一生懸命働きました。

 

結局、アルバイトとして9ヶ月間働いた後、
本格的に転職活動をすることに…。

そして、電車で片道2時間の
障がい者入所施設で生活指導員として
本格的に働くこととなりました。

その時のことについては、
メール講座の方で詳しく話しているので、
興味があれば下のフォームから
登録(無料)して読んでみてくださいね。

 

今、自分の30代を振り返ると、
ずっと社会に取り残される不安と戦ってたと思います。

うっかりネットサーフィンなんかしてみると、
リア充たちがマウンティングの取り合いをしていて、
それを見てまたなんか落ち込んじゃったり…。

自分らしく生きられないのはツラいけど、

社畜になって自分を安売りもしたくない。

あの時はインターネットを使って
ビジネスをする道なんて知らなかったけど、
もしもあの時、
そんな方法があるって知ってたら、
また違う人生だったかもしれませんね(笑)

 

ただ、母に

「アンタは普通の子やから」

と言われたことは
今でも心に残ってるし、
遠回りした分だけ
謙虚になれているような気もする
ので、
案外これで良かったのでしょう。

それに、普段、言葉にできない愛情って、
こういう時にしか伝わらないものだったりしますからね。

 

最後まで読んでくださって、
どうもありがとうございました。

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