人生が辛いと感じることは誰にでもあると思います。

 

もし、「人生は100%楽しい!」なんてポジティブ全開なことを言う奴がいたら、そいつはきっと嘘つきだと思います。嘘つきが言い過ぎなら、少なくともそれは正確な表現ではないでしょう。なぜなら、楽しさや満足感を得るためには、相対的に辛さや満たされていない状況を迎える必要があると思うからです。

 

つまりどういうこと?

んー、なので上記の言葉を正確に表現するならば、「人生には辛いこともあるけれど、楽しい時にそういった辛さが報われるから100%楽しいんだ」という意味になるのではないでしょうか。

 

まぁ、でも…

これならわかる。

 

いきなり「人生は100%楽しい!」なんて言われた日にゃあ、思わず反論したくなるのが人情ですからね。

てゆーか、反論するでしょ!

ポジティブ過ぎて意味わかんねぇーって(笑)

 

ただ、なぜ人生は辛いのかと考えた時に、私たちはその先の人生に、楽しいことや幸福な瞬間が待っていると信じられるような生き方ができれば、案外、ラクに生きられるのかもしれませんね。

今回は、そんなテーマで話をしていきましょう。

なぜ人生は辛いのか?

なぜ人生は辛いのかと考える女性

突然ですが、人生を辛いと思うことってないですか?

私自身、あんまり人前で言うことはませんが、過去に「なぜ人生はこんなにも辛いのか?」って何百回も思ったことがあります。

 

「なぜ自分だけこんな目に?」

って、思い悩んでも、

「いやーツレええぇー!!」

って、冗談めかしても、

しんどいもんはしんどい。

 

鶴瓶師匠の「うまいもんはうまい」じゃないけど、辛い時は辛いんですよ、マジで。

ただ、私の場合、年齢を追うごとにそう思って闇に入る時間が減ってきました。

昔は、冒頭で書いたような「人生は100%楽しい!」みたいなことを言いながら、ネガティブさを振り切って生きてた時もあったんですが、その時のように自分を騙すようなことをしなくても大丈夫になってきたのです。

 

じゃあ、人生で辛いことが減ってきた理由って何よ?

って感じですよね。

今考えると、サラリーマンを辞めたことが理由かもしれないし、結婚したことが理由なのかもしれません。

しかしながら、そこから順風満帆な人生だったのかというと、周りの人にも結構心配かけてると思うし、安定した生活を送れているかというと、あまり自信がないというのが正直なところです。ちょっと頭の切れる人に、「アレはどうすんの?」「これについてはどうしようと考えてるの?」と鋭くツッコまれたら、色々と凹んでしまうこともあるでしょう。

他人の目から見ると、私の人生は辛いものだと映る可能性は否定できないですからね。

 

なので、これがそうだというハッキリとした理由はないのかもしれません。

ただ、私は現在42歳なんですが、多分、これまでの人生を振り返ってふと気づいたこと…。それが人生を変えたきっかけなんだろうと思うことがあります。それは…

 

意外と何とかなるもんだな。

 

 

後で考えると大げさなことでも、瞬間瞬間で「もうダメだ」と思うことは今まで沢山ありました。

人生終わった…

と、何度思ったことか。

でも、ある時、スイッチが切り替わったように、自分の考えの方を疑うようになったのです。

終わった終わったって狼狽しまくってきたけど、全然終わらんやんけ…

 

ただ、これは決して自暴自棄になったとかではなくて、一周回って「ええ加減にせえ!」ってなった感じなので、どちらかというと建設的な思考の切り替えです。

もちろん、この考えは自分の思い込みではなく、周りの人たちを見ても同じでした。

辛い辛いと言いながらも、大抵の人は何とかなってるし、客観的に見てもまだまだ起死回生のチャンスがある人たちばっかりじゃないか…、ということに気づくことができたのです。

 

そして、

あれ?

じゃあ、あの辛さは一体…

なんだったのでしょう。

不安なのは仕方がない

不安を抱えている女性

なぜ人生は辛いのか?って悩んでばかりいた頃を思い返すと、ずーっとネガティブなことばかり考えて、環境のせいにしたり、他人のせいにしたりしてばかりしていたように思います。

今考えると特に恥ずかしいのは、自分の人生が辛いのは親のせいだと責任転嫁していたことです。責任転嫁してるから、自分で行動する責任がないとか、自分は不幸だとか言い訳をして行動できないし、そりゃあ辛かったですよ。

 

でもね、そう思っているのは自分だけで、親は厳しいながらも正論でそのことを教えてくれていました。

今振り返ると、これは北風と太陽の話みたいなもんで、厳しい風が吹けば吹くほど、まとったコートで身を守ろうとしてしまうんですよね。厳しい北風(正論)から身を守ろうとすればするほど、偏った価値観とも言えるコートを脱げないし、ずーっと辛い状況が続いていた…。たったそれだけのことだったんですよ。

 

まぁ、懺悔なんですけど…。

 

ただ、その時は誰にも理解してもらえてないって気持ちがあるから、ずっと心がそこに囚われたままなんですよね。周りの人の言ってることも正しいってわかるんだけど、自分の”痛み”の方が実感として強いからそっちを信じちゃう。

要するに、不安だったんですね。

不安症だったと言ってもいいかもしれない。

でもこれ、短絡的に「自己責任」で押し付けちゃう人もいるけど、誰が悪いのって原因を探ろうとしても、多分誰も悪くないんですよ。心の風邪をこじらせたみたいなもんで、誰だってそんな状態になることがありますから。

 

そしてその心の風邪っていうのは、それじゃあ死なないからって安心できるようになれば治るんじゃないでしょうか?

人間は防衛本能として不安を抱く生き物なので、不安になったり心配になったりするのは自然な感情なんですよ。

だから、将来のことについて、ちょっと大げさに心配しちゃうようにできてるんです。

 

変な話、不安を感じながら生きるのってラクなんですよ。

逆に、何があっても明るく生きようと考えるのは、後からどんどん湧き出てくる不安に打ち克たなくちゃいけないからエネルギーが必要なんですね。つまり、安心を得ようと思ったら、ある程度努力しなければなりません。

ただ、その前に知っておいて欲しいことが、人間というのは不安や心配を多少大袈裟に見積もるという性質を持っているってことなんですよ。

自分の人生に腹を据えよう

腹を据えた人生を送る女性

なぜ人生は辛いのかって考えた時に、自分の中に不安の種があるからだと思うんですけど、その不安の種って多少大袈裟に見積もられてるものです。

つまり、その不安の種が開花して不幸を実らせる可能性ってどのくらいよ?って考えて欲しいんですね。

 

意外と開花率低くね?

 

そんなことに気づけるかもしれません。

不安や心配事のほとんどは現実化してなかったりするものです。

 

それで、やっぱり行動しなきゃダメだということ。

よく「知恵と勇気が必要だ」って言いますけど、いくら頭でアレコレ考えてても、そこに勇気がなければ行動できません。言い換えると、勇気のない知恵なんて、いくらあっても意味がないのです。

 

そんな時に大事なのが

意外と何とかなっている

っていう事実なんですよ。

 

「いや、何とかなってない!」と言うんだったら、多分それはあなたが正しいと思います。世の中に絶対はありませんから、その時はごめんなさい。

だけど、頭の中でいくら人生が辛いって嘆いていても、行動しない限り、現実は何も変わらないんですよね。

 

人生って、行動すればすべてが自分の思い通りになるわけじゃないけど、それがきっかけで人に親切にしてもらったり、誰かが作った素晴らしい作品に出会って感動したり、外からの影響が人生に良い作用をもたらすことだって多いものです。

でも、人間は忘れやすい生き物だから、ついそのことを忘れちゃう。そういうありがたいことを忘れないために『感謝』という概念が生まれたのかもしれません。

⇒幸せだと思えない人へ…感謝することの本当の意味

 

なんにせよ、多少自分の都合の良いように人生を考えたって、意外と困らないかもわからない。

そうすると、振り子は逆方向へと動き出します。人生が辛いと思い込んでいた人ほど、相対的に大きく感じる幸福が待っているものです。

「自分を不幸にしていたものは見掛け倒しだって気づいたんだから、私は勇気を出して先に進むんだ」

そんな気持ちで生きられたら、腹も据わって人生が好転するはずですよ。